新垣

罪人の記

新垣と様々なアイディア

たった今トイレの中、腹を壊して悲鳴をあげている。私のアイディアは、主にそんな時や、風呂に入ってる時などに思い浮かぶ

 

最近は、それらを瞬時にスマホなんかでメモを取るようにしている。忘れないように。便利になったものだよねほんとに。

 

ここで一つ話を変えるとする。私は最近、フィリップセイスという名のミュージシャンにハマっている。SRVのギターをもっと荒々しくしたギタリストだが、これにオルタナティブロックを混ぜた仕上げの音楽は、とても刺激的で、私の心にとても残る。私は最近、ブルース音楽と、最近のミュージシャンの曲を聴くのが好きだ。昔からの知恵を活かし、新しい何かを創るというのは、とても重要な事だと改めて思った。昔からの知恵を現代的な解釈で、新鮮に見せる。これが、今の音楽業界に、、いや、それらは昔からそうだった。時代により解釈やお洒落などといったコンテンツにより一層敏感になるべきだと思う。クールジャパンを売りにしている日本だが、次はどんなジャンルが流行るのか。一手、二手と裏を読んで創作する。予知は、一種の刺激だろう。私のやりたい音楽をその次世代の流行に焦点を合わせる。五十年後の音楽をやろうだなんて言わない。が、私達創作家を志す者達は、少なくとも、二、三年後の予知だけでは、食っていけるのかどうか、それが危うくなる。最も、創作にその様な思想を持たない方が、気楽で自身を表現できるのだろう。

 

様々なモノを吸収し、自身を創っていく。これは音楽だけではない。ソレ一つだけで創作をすると、ステレオタイプのつまらない創作になってしまう。個性を表現しようとするならば、未知なるモノを、吸収して、自身のモノにする必要が絶対条件だと感じる。昔あった実例を挙げると、ロックというジャンルに、ラテン音楽や、レゲエといった音楽を取り入れ、有名になったサンタナというギタリストや、the policeというバンドがある。彼らは歴史に残るミュージシャンだ。今現在にも、その様な斬新な発想が必要である。これは昔から変わってはいない。

 

私達は、自身の守備範囲を広げて、自己流に解釈させ、現代にウケる表現にする、マーケティングなどといった正直面倒くさい事も身につけなければいけない。偶々、自身の創作が現代にウケる表現だったとしたらそれはラッキーな創作家だったに違いない。創作のソレを楽しむか苦に感じるかは人々の勝手だろう。